まだ幼稚園児だった頃、
僕はとても「チーター」が好きだった。
本気で、チーターの背中に乗って、
通園したいと夢見ていた。
ちょうどいい「玩具」が買ってもらえなかったので、
僕は厚紙にチーターの絵を描いては、
それを型通りに切り取って遊んでいた。
欲しいものを絵に描くという方法を知ったのが幸いしたのか、
当時の周りの子に比べて絵がうまくなった。
子供社会はある意味シンプルで、
身体能力に劣っていても、
絵が上手なだけで、
自分の居場所が確立される。
ジャイアンみたいなクラスの大将格のヤツにも、
「俺にも絵を描いてくれよ!」とせがまれる。
そんな自分がいつの間にかファッションに取りつかれ、
寝る間も惜しんで教科書や参考書の何倍も、
雑誌を読みふけった。
その結果、
こんな大人になった。
後悔は一切無い。
無いどころか、
カルチャー事の「ルーツ」や「履歴」が細かく刻まれ、
己の樹の年輪がはっきりと認識できるようになった。
ただ、
いくら歳を重ねても、
物欲だけはどうしようもない。
こと自分のそれにおいては、
事業仕分け制度の導入も、
今となっては砂漠にグリッド線を描くようなものだ。
ならばと、
ここ最近思うことがある。
それら「自分史」を基準にしよう。
「ルーツ」や「履歴」はそのまま新しいルールとなる。
砂漠にどんなグリッドを描くのかではなく、
砂漠を構成する砂の種類が肝心だ。
そう、思うと、
ますますその方向に物欲が高まる。
あれ?
これって、
何だ?
31歳の夜中、
僕はまだ迷走していた。
